思えばこの業界に入って三期目の造りで、前の杜氏が急に病気で来られなくなり本格的に酒造りに取り組むことになっ たわけですが、最初のころはただ米を酒にしていた だけでした。
地酒とは「地元の米、地の水で造ったもの、品評会用の酒は秋にはくずれてしまって飲めない」という俗説を信じて(言い訳にして)いました。
でも、その頃に出会った岐阜県知事賞を獲られた玉泉堂さんの吟醸酒に感動しました。
衝撃といってもいいくらいの・・・・・
「こんなにも日本酒ってすごいんだ」「本当に米からこんなものができるんだ」
まるで芸術品を見ているようでした。自分には関係のない雲の上の存在でした。
少しずつ鑑評会や他の蔵の酒に興味を持つようになり、同世代の蔵人たちの蔵が全国新酒鑑評会で金賞を獲ったりして鑑評会というものも身近に感じられるようになり、自分のカのなさ、レベルの低さを痛感するようになりました。
指導機関の先生方や他の蔵の諸先輩、友人に相談したりして、いろいろ試行錯誤の結果、自分なりに出した答えが「蔵を変わってもういちど一から勉強しなおそう」ということでした。
何故、前の蔵でできないかという訳は自分であれこれ考えるよりもベテラン杜氏のもとで見て、聞いて、感じて勉強したかったこと。
酒造りはいろいろな要素がからみあい決して「1+1=2」にならなくて、机上の論理だけでは通用しないからです。
もうひとつの理由は米のことをもっと知るために自家精米をしたかったことです。
おおまかにこの二つの理由で前の蔵を飛び出しました。
前の蔵元さんには本当にご迷惑をかけただけで今でも胸が痛み申し訳ない気持ちでいっぱいです。
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